あの日の覚悟
初めての子を出産して病院を退院する日に先生に呼ばれ紹介状を渡された。
何がなんだかわからないまま総合病院の脳外科に行った。
生後一週間の乳飲み子を抱く若い夫婦は脳外科の待合室にはそれはもぉ場違いで皆チラチラ好奇の目だった。沢山の検査をした。レントゲンでは検査技師が「動かない様に抑えていてください、お母さんよりお父さんがいいかな、母乳ですよね?」と。あたしに害があるかもしれない放射線を生まれて間もない子に何度も・・・大丈夫なんだろうか?と思いつつ検査しない事には何も分からないと言われれば従うしかない。怖かったのはCTとMRI。これは動かない様に押さえてる訳にいかないので ぎりぎりまでおなかをすかせて眠り薬を飲ませる。おなかがすいてるからおいしそうにスポイトの口を吸う。あ~ゴメンネ、おもいっきりだましてる罪悪感。すぐにぐったり眠る。これがただ眠ってる感じじゃなくてもう2度と目を覚まさないんじゃないのかって不安になるレベルでぐったりと眠る。
あたしが障がいのある子を育てるなんて出来るだろうか?
どうしてこの子なんだろう?妊娠中の何がいけなかったんだろう?あたしのせいだあたしが悪いこの子は何も悪くないのに一生この子はこの病気を背負って行かなきゃならない。この子が大きくなって障がいの事で悩む日が必ずくるあたしを責めるのなら全然かまわない、けど自分を責めたりするのかもしれない あたしのせいでこの子が切ない思いをするのならいっそ何もわからない今のうちに一緒にいなくなろうか・・・すやすや眠る顔を見ながらそんな事を考えていた。
『笑った』
大きく万歳してる姿ですやすや眠ったまま笑った
お母さん僕は大丈夫だよって言ってるみたいにニッコリニッコリ何度も笑った。あたしは泣いた。声をあげて泣いた。なんてダメなバカ母なんだ。覚悟を決めなさい。この日からメソメソ考えるのはやめにした、メソメソする日もやっぱりあったけど、先を心配するんじゃなくて今生きてる事を大切にしなくてはと彼の笑顔で気付かされた。
何度か入院もしたし8時間もの大手術も体験した。その後のリハビリも大変だった。彼は頑張っている。
問題が起きたらその都度どうするのが最善なのか考えながらの日々はきっとこれからも続く。